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最初は京都市内から見て、三尾の一番奥に位置する 栂尾(とがのお)の高山寺から清滝川を下りながら
槙尾(まきのお)の西明寺、高雄の神護寺の順に歩きました。 では、1994年に古都京都の文化財として世界遺産に登録された 『栂尾 高山寺』です。 高山寺は、山号を栂尾山、創建は奈良時代と伝えられ 13世紀初め(鎌倉時代)に後鳥羽上皇の勅願で明恵上人が再建し高山寺と改称した、宗派は真言宗御室派系のお寺です。 バス停から近い裏参道から石段を登りました。 結構急な石段を登って行きます。 日頃の運動不足が災いして、最初からキツイキツイ!! 鎌倉時代の建物は石水院を残すのみとなっているのだそうです。 この石水院は、明恵上人が後鳥羽上皇の学問所だった所を住居としていた建物で、 明恵上人樹上座禅像、鳥獣戯画(レプリカ)、善財童子像などが展示されています。 多分この石水院の中には入った事がなかったのか、それとも記憶にないのかのどちらかで、 大好きなブログTollianoのさんのところで善財童子像を見て以来ずっといつか必ず逢いに行こうと思っていたのです。 この善財童子の詳しいお話は、SOTO-ZEN>やわらぎ法話>善財童子かこちらをごらんになってね! 鎌倉時代を中心として国宝・重要文化財は一万余点にも及ぶのだそうですが 中でも有名なのは鳥獣戯画(ちょうじゅうぎが)でしょう。 高山寺の名前は知らなくても鳥獣戯画をご存知の方は多いのではないでしょうか、マンガのオリジナルと言われていますね。 11メートルにも及ぶ長い絵巻物ですが、これは高山寺が焼き払われた後、後年の高山寺の人々が修復し、つなぎ直されたものです。 国宝・鳥獣戯画は、高山寺に伝わる4巻一組の白描絵巻で、甲乙丙丁という4つの巻に分かれており、甲巻は兎と猿、 乙巻は牛馬、丙では人が多く、丁巻では人のみとなっており実物は、東京と京都の国立博物館に保存されています。 のどかな秋の時間がゆったりと流れて、このままここに居座ってしまいそうです。 ごらんのように人はいっぱい居るのですがきっと気持ちは同じなのでしょうね 緋毛氈が紅葉によく似合います それは 仏師快慶作 子犬の像。「明恵上人愛玩の木彫狗児(重文)」です。 明恵上人が常日ごろ、座右において愛玩していたという木彫りの犬なのですが、きっといつもなでなでしていたのでしょうね、 木肌が人の手によって丸く滑らかになっていました。 運慶といえば、東大寺の金剛力士像などが有名ですが、こんな小さな可愛い犬も彫られたのだと嬉しくなってしまうのですが、 ガラスケースに入ったこの上人遺愛の犬は、光の差し具合もあって私の腕ではどうしても撮れませんでした この善財童子さんの後姿が何となく・・・・・・ この石水院の門の横にある参道を挟んで、竹製の柵のある「茶畑」があります。日本最古之茶園と書かれた石柱があります。 今も現存する最古の茶園です。 この地で育てたのが日本茶の始まりとされ、以後、宇治を初めとする各地に分植されましたが、 高山寺のお茶を「本茶」、それ以外で産するお茶を「非茶」として珍重された時期があったそうです。 現在も宇治の茶業者が毎年新茶を上人の御廟に献茶しているとのことです。 しかし、そうなると・・・・それ以前日本人は水以外の何を飲んでいたのでしょうか ここは、開山堂 明恵上人坐像(重要文化財)が安置されています。 建物は、近世に建てられたものですが、元々は明恵上人の晩年の頃の草庵 禅堂院があった跡といわれ この明恵上人座像には右耳がなく、明恵上人が、信仰上の迷いを断ち切るために、本尊の前で耳を切り落したとも・・・・・。 釈迦を随順する明恵上人は山内をインドにみたて、「阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)」 「此の世に有るべきように有ろうとする」又は、「自分の置かれた場所で一生懸命に生きることが大切である」と明言しています。 これをを座右の銘とし、自然と同化し、無欲を貫いた方であったようです。 次回は 槙尾 西明寺です #
by franandtuto
| 2010-11-23 20:29
| 旅行
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Comments(41)
先週、山梨の昇仙峡に紅葉を見に出かけたのですが、やっぱり京都の紅葉が見たくなって
急に週末の金曜日、会社が終わってからtutoと京都へ行って来ました。 葉の色づきは寒暖差が左右すると言われ、今年は夏の猛暑や例年に比べて長かった日照時間影響で葉の育ちがよく、 10月下旬からの冷え込みには色づきに対して良く働くとのことでいつもの年より一週間見頃が遅かった京都の紅葉です。 最初の写真は、京都高雄、神護寺の参道です。 この日は、ほぼ半日で嵐山と三尾を回って午後早くには帰京する予定っでしたので 早朝から精力的に歩きました。見てください、この太陽! これは夕日だと思われますか? ・・・・・これは朝日です。 日の出を嵐山で撮りました・・・・・なんと活動的な私たち 全長154メートルのこの橋は、嵐橋とも呼ばれ承和年間(834~847平安時代の初め) 弘法大師の弟子で、法輪寺を興した道昌によってかけられました。当時はもう少し上流にあり法輪寺橋と呼ばれていたそうです。 渡月橋の呼称は、亀山上皇が曇りのない夜空に月がさながら橋を渡るようなさまをみて「くまなき月の渡るに似る」と 感想を洩らされたことから[渡月橋]と呼ばれるようになったといわれています。 京都市街の西に位置し平安時代から貴族たちに愛された京都随一の景勝地で、嵐山付近から嵯峨野に至る一帯は、王朝以来のさまざまな物語の舞台であり、名所・史跡の宝庫でもあります。 風光明媚な大堰川は、かつて平安貴族が舟遊びを楽しんだと云われ 現在も、宇多上皇御幸の際の御船遊びにちなみ、5月の第三日曜日に車折神社の祭礼として、三船祭りが行なわれ、 大堰川に龍頭・鷁首船の他、詩歌・俳諧・献花などの20数隻を浮かべ、王朝の舟遊びを再現しています。 ざっと今、頭に浮ぶだけでも、平家物語にも登場した悲恋の尼寺『祇王寺』 光源氏のモデルといわれる源融(みなもとのとおる)の別荘跡に阿弥陀堂を設立したと言われる『清凉寺』 空海が中国から持ち帰った小豆の種子。小倉山で栽培し、煮詰めて「あん」を作ったことから「小倉あん」と呼ばれるようになったという小倉山の麓にある「小倉あん」発祥の地 『二尊院』や 『竹の道』 食べる方では、京都吉兆の本店やお豆腐の森嘉 など一日では周り切れないほどですが 今回は紅葉だけを大急ぎで見て来ました。 続きまして、三尾(さんび)の紅葉です。 ごめんなさい! 今日はダイジェスト版ということで半日で歩きまわったところをご紹介します。 詳しくは次回以降一つずつ(笑) 栂尾(とがのお)『高山寺(こうざんじ)』を総称して三尾(さんび)といい、 古来より紅葉の名所として名高く室町時代、将軍足利義政は毎年のように高雄の紅葉を愛でたと言われていいます。 何故、高雄、槙尾、栂尾で三尾なのかって、「高雄」を古くは「高尾」と書いたそうで 『三尾(さんび)』 なのだそうです。 来たいとは思いながら、一番の混む時期と聞いて腰が引けていたので市内に入らず、嵐山と三尾だけを見て帰ることにしました この紅葉の艶やかさにびっくり様々な色に染まり、豊かな表情をみせて帰宅してからも瞼の裏が赤く染まっているようでした 感激しました 詳しくは明日! よろしかったら見に来てくださいね #
by franandtuto
| 2010-11-22 00:26
| 旅行
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Comments(32)
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